光文社古典新訳文庫の翻訳がエラいことになっているらしい

われわれの業界では、光文社古典新訳文庫の翻訳の品質についての疑問をひんぱんに耳にするようになった。もちろん、いつの時代でも翻訳というのは誤訳の山だし、そもそも翻訳は不可能という声すらあるわけなのだが、それにしても、古典新訳文庫はひどいのではないか、というのである。

たとえば「カラマーゾフの兄弟」が古典新訳文庫でベストセラーとなったのは記憶に新しいが、それも非常にやばいらしい。「赤と黒」もそのようであるらしい。トロツキーもやばいらしい。私は原語で確認できないのだが、専門家たちがそのように言っているから、根も葉もない噂ではないのだろう。

たとえば、このサイトと、そこから辿っていけるページをたんねんに見てみよう。
http://book.geocities.jp/ifujii3/

カラマーゾフの兄弟」についてはこちら
http://www.ne.jp/asahi/dost/jds/dos117.htm
なかなか壮観である。

みなさんは、どう思われるか。(そこあたりでほのめかされている、既訳書の日本語を訂正してから原語と照らし合わせて新訳とするという話も、すごいものである)

私が光文社新訳問題に気づいたのは、大学院の演習でJSミルの「自由論」を、岩波訳、古典新訳文庫訳、原文、で読み比べたときだった。たしかに古典新訳文庫の日本語は、日本語として読みやすくなっているが、そのぶんだけ、原文の含蓄が失われているし、はっきり言って、原文の哲学的ポイントが翻訳できていない箇所が多々ある。その点では、古い岩波訳のほうが、日本語は読みにくい反面、原文の意図に忠実に訳されている(ただ翻訳者が複数のためムラがある)。上での議論は、おもに「小説」をめぐってであるが、同じことは「哲学」についても言えるだろう。前にもどこかに書いたが、哲学書の翻訳は、その哲学者が何を言おうとしているのかを理解できる程度の論理脳を持った人が訳すべきである。そうじゃないと、その哲学書のレベルが、訳者の脳のレベルにまで下がってしまうことになる。なぜなら訳者は自分の脳で理解できる範囲のことしか訳せないからである。