マイケル・サンデル「これからの「正義」の話をしよう」

これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

2010年6月27日日経新聞掲載

 米国の政治哲学者マイケル・サンデルの新著である。戦争や生命倫理などの具体的な話題から説き起こすその語り口は非常に明快で、現代倫理学へのすばらしい入門書になっている。サンデルの授業は、NHKで「ハーバード白熱教室」として放映されたから、ご覧になった方も多いだろう。その劇場型の講義も興味深いが、サンデル自身の思索については、本書を読んだほうが分かりやすい。
 サンデルは、たとえば米国の徴兵制について、次のように語りはじめる。現代の米国人の多くは、国民を強制的に兵士に徴用する徴兵制よりも、兵役に志願する者のみを雇い入れる志願兵制のほうが望ましいと考えている。実際にイラク戦争は志願兵によって戦われた。
 しかしこれには強力な反対論がある。ひとつは、志願兵制では富裕層の子息は兵役に就かず、貧しい人々のみが兵士になるという現実があるのだ。これは不公平だとして、徴兵制の復活を求める声がある。もうひとつは、兵役は米国市民としての義務であるから、徴兵制にすべきだという意見である。ちょうど陪審員が市民の義務であり、全員が平等に負担すべきであるのと同じように、兵役も全員による平等負担が原則だというのである。
 さて、どうするべきかとサンデルは問いを投げかける。そもそも市民の義務とは何かを考えないとこの問いは解けない。
 同性婚についても、マサチューセッツ州最高裁判所はそれを認めたが、それはけっして婚姻の多様性を認めたからではないと指摘する。なぜなら、裁判所は同性婚は認めたが、一夫多妻制や一妻多夫制は認めなかったからである。価値の多元性を支持するかのようなリベラルな判決の背後にも、ある特定の「共通善」の前提が潜んでいる。それは、二人のあいだの独占的愛情関係のみが保護されるべき共通善であるというものだ。
 このような議論をとおして、サンデルは、価値の多様化する現代においてこそ、義務と共通善についての公共的な論争と学び合いがどうしても必要なのだと結論する。刺激の大きい書物である。


評者:森岡正博 (http://www.lifestudies.org/jp/)

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