いま論文執筆中

ある方が、私の本のある部分を2頁くらい英訳してくれた。その方は、翻訳のプロなのだが、訳された英文を読んで、あまりのすばらしさに衝撃を受けた。原文の文意を損なわず、流れるような英語になっている。自分で自分のをいくらがんばって翻訳したとても、ここまでの次元に達するのは未来永劫不可能と思われた。プロの力を認識すると同時に、ちょいと落ち込んだ。英語の勉強もっとしなきゃ。いつになったら自然な英文が書けるようになるだろう。

私は語学の才能は特にないから、これについてはコツコツと努力するしかない。持って生まれたものと、持って生まれてないものの差というのは、しみじみするねえ。私は哲学することだけは努力せずともできる、というか脅迫的にせざるを得ない自分がいる。だから私は他人に、哲学をどうやってするのかを教えることができない。やり方を自覚したことがないから、それを言語化できない。語学に関しては、才能ないから、何十年も勉強を続けているわけで、これはほんとうに勉強って感じだ。もしいつの日か私が自然な英文を書けるようになったら、私はそのコツを他人に教えることができるかもしれない。私は実は、哲学・思想・倫理学の教師には向いてないのかもしれない。

追記:哲学を教えないと言っているわけではなく、哲学の仕方を言語化して教えることはできないというわけです。たぶん、私と対話したりすることで、私から哲学の仕方を盗んだり発見したりしてくれる人はいると思う。そういう教え方、学び方しか、私には分からないなあとも思ったり。またいつかちゃんと書こう。