ヤコブ・ビリング『児童性愛者』(中田和子訳)解放出版社

児童性愛者―ペドファイル

児童性愛者―ペドファイル

2004年12月5日熊本日々新聞掲載

評者:森岡正博 (http://www.lifestudies.org/jp/)

 今回紹介する『児童性愛者』を読んでいたら、ちょうど奈良市で小学校一年生の少女の殺害事件が起きた。犯人は、子どもに性愛感情を持つペドファイル(児童性愛者)ではないかと推測されている。
  小さな子どもを見て「かわいいな」と思ったり、「声をかけてみたいな」と思うだけならば、誰しも理解できる感情だと言える。だが、子どもたちに性的ないたずらをしたり、誘拐したり、虐待をして殺したりしたいというところまで行くと、もはや普通の理解の範囲を超えている。
  小さな子どもと性的な関係を持ちたいと思っているのは、どういう人たちなのだろうか。この本は、その疑問を解決するために、デンマークの児童性愛者協会に潜入したジャーナリストによる、迫真のルポである。
  驚くべきことに、一九九九年の時点で、デンマークには児童性愛者協会という愛好者団体があった。彼らは集会の自由を楯にとって、公然と活動をしており、その目的は「子どもと成人間の性的関係に対しての世間一般の偏見を取り除くこと」とされていた。テレビジャーナリストのヤコブ・ビリングは、みずから児童性愛者になりすまし、上着の下に録音機材を忍ばせて、会合に潜入取材をはじめる。
  七・八歳の少女の性交写真を入手したヤコブは、その少女がどこの誰なのかを追跡しはじめる。やがてヤコブは、その少女がスウェーデンに住んでいたモニカであることを突き止める。ヤコブはモニカの母親に会い、ついにモニカ自身のインタビューに成功する。モニカの性交写真を撮っていたのは、モニカの実の父親なのであった。
  いまや大人になったモニカは、息子がいるのだが、自分が息子を愛しているかどうか確信が持てないと言う。なぜなら、モニカ自身が親から愛された経験がないので、愛とは何なのかが理解できないのだ。だから、自分の息子に対する感情が愛なのかどうか、分からないと言うのである。モニカは過去の出来事をすべて忘れて社会の片隅でひっそりと生きようとしているが、実際には、いままで一度も過去が脳裏から離れたことはないと告白する。
  隣国ベルギーでは、少女九人を誘拐殺害した男が、昨年逮捕された。欧州を舞台としたこの種の犯罪はあとを断たない。本書を読むと、児童性愛者のターゲットは、いまやインドなどの途上国の子どもへと向けられていることが分かる。東南アジアに少女を買いに行くのは日本人だけかと思っていたら、そうでもないようだ。
  このように、児童性愛者たちの生態がよく描かれている反面、彼らの内面の分析が充分になされているとは言い難い。だが、この問題を考えるうえでの必読書であることは間違いないだろう。
  この本を読んで分かるのは、児童性愛者たちが、自分の欲望しか考えてないということだ。相手の子どもたちには、彼らなりの感情や、よろこびや、苦しみや、希望があるということを、児童性愛者たちは分かろうとしない。相手を自分の都合のよいように扱いながら、「向こうも望んでいたんだから」という理由で自分の行為を納得させようとする。
  それにしても、幼い子どもに「性的に」関わりたいという欲望は、いったいどこからくるのだろうか。レイ・ワイアとティム・テイトの『なぜ少女ばかりねらったのか』(草思社 一九九九年)では、少女に生まれたかったと述懐する児童性愛者が登場するが、このような視点からこの問題を読み解く必要があるのかもしれない。
  奈良の事件のように殺害にまで及ぶのは病理的だと考えられるが、ネットには子どもや女性の死体写真があふれている。それらを見ているのは普通の一般市民であるはずだ。幼い子どもに性的に関わって、傷つけてみたいという欲望は、実は、仮面をかぶった市民の心の底に、広く染み渡っているのかもしれないと私は思うのである。

                                                                                                            • -

森岡正博の書評ページ(森岡執筆の書評一覧があります)
http://www.lifestudies.org/jp/shinano01.htm
森岡正博の生命学ホームページ
http://www.lifestudies.org/jp/