金井淑子・細谷実編『身体のエシックス/ポリティクス』ナカニシヤ出版

2002年11月24日信濃毎日新聞掲載

評者:森岡正博 (http://www.lifestudies.org/jp/)

 フェミニズム倫理学が、いま急速に接近している。その二つが交差する場所こそが、私たちの「身体」だ。たとえば、代理母体外受精は、「産む性」である女性の身体を抜きにしては語れない。買売春や、セクシュアリティなどもそうだ。
 本書を読むと、いま何がほんとうに問題なのかが浮かび上がってくる。一〇本の論文が収められているが、そのなかで最も衝撃的なのは、浅野千恵さんが書いた「性暴力映像の社会問題化」という文章だ。
 浅野さんは、女性をほんとうにレイプしたり虐待したりしているように見えるアダルト・ビデオを取り上げる。そういうビデオに出演した女優たちは、将来、深刻なトラウマを背負ってゆかねばならないはずなのに、ビデオを消費する男たちは、この問題を頭の中から消し去っている。
 浅野さんは、それに加えて、新しい論点を提出する。それは、このようなビデオを見てしまった視聴者が受けてしまう心的被害である。このような問題意識を持つに至った背景には、浅野さん自身の体験がある。彼女は、調査や議論のためにこの種のビデオを繰り返し見るのだが、その結果、虐待シーンや暴力映像がいきなりフラッシュバックしてきたり、ふとしたときに心臓が苦しくなったり、突然恐怖や怒りにおそわれたり、人間不信に陥ったりした。
 性暴力映像は、出演した女優だけではなく、それを見てしまった女性や、見させられた女性に対しても深刻な被害を及ぼす危険性があるのだ。浅野さんによれば、性暴力映像の問題を訴えていた女性が、自殺してしまった。その女性の手記を読むと、彼女自身がその映像によって精神的に追いつめられ、孤独と絶望に沈んだことが記されている。浅野さんは、その女性の自殺の背後には、このトラウマがあったのではと推測している。男性たちにはまったく認識されてこなかった問題が、いま明らかにされた。
 このほかにも、河口和也さんは、同性愛者への暴行が、なぜ本来の意図を超えてまで執拗に行なわれるのかを分析し、この社会に潜む同性愛嫌悪の深刻さを浮かび上がらせている。二論文ともに必読である。

                                                                                                            • -

森岡正博の書評ページ(森岡執筆の書評一覧があります)
http://www.lifestudies.org/jp/shinano01.htm
森岡正博の生命学ホームページ
http://www.lifestudies.org/jp/