倉持武・長島隆編『臓器移植と生命倫理』太陽出版

臓器移植と生命倫理 (生命倫理コロッキウム)

臓器移植と生命倫理 (生命倫理コロッキウム)

2003年3月23日信濃毎日新聞掲載

評者:森岡正博 (http://www.lifestudies.org/jp/)

 先日、ある会合で、臓器移植法の研究をしている外国人研究者の話を聞く機会があった。その研究者は、日本のいまの臓器移植法にとても関心をもっていて、他国もこの法律から学ぶことができるのではないかと語っていた。たしかに、そうなのだ。日本の臓器移植法には、いろいろな難点はあるのだが、しかしそれは、「本人の意思表示」があるときに限って脳死判定ができるという、世界でも類を見ない法律だ。国外から注目されて当然だろう。
 その臓器移植法を、改正しなければならないという声が、日増しに高まっている。「本人の意思表示」がなくても、脳死移植を行なえるようにするべきだという声がある一方で、「本人の意思表示」の原則は最後まで守り通すべきだという声もある。一五歳未満の子どもからの脳死移植についてはどうするのかという問題も、残されている。
 本書、『臓器移植と生命倫理』は、この問題にくわしい専門家たちが集結して、最先端の知識を駆使しながら、論点を洗い出したものである。提案されているいくつかの改正案の検討や、子どもの脳死判定基準への批判など、まさに最先端の話題と情報が盛りだくさんの、タイムリーなハンドブックである。
 いろいろな論文が収められているが、とくに目を引いたのは、一九九九年に成立した韓国の臓器移植法についての検討だ。韓国の法律は、人間を、「生きている者」「脳死者」「死亡した者」の三つに分けている。これもまた、世界に類を見ない法律である。「生きている人間」と、「心臓が止まって死亡した人間」の中間に、「脳死になった人間」という第三のカテゴリーを置いているのだ。そして、脳死者は「まだ死んでいない」とされる。
 そのうえで、脳死になった本人の意思表示がなかった場合は、家族の承諾があれば臓器を取り出すことができる。このように、韓国の法律は、「本人の意志表示」の原則を緩めるのだ。しかしながら、家族を重視する点では、日本と似ている。日本の法律と、韓国の法律は不思議なねじれ方をしている。関心のある方は、ぜひ精読してみてほしい。

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