『「個人的なもの」と想像力』吉澤夏子

「個人的なもの」と想像力

「個人的なもの」と想像力

吉澤さんの久々の単著である。社会と個人の軋轢をめぐる問題をジェンダーの角度から切り取っているが、最大の注目は、「やおい」「BL」について正面から考察しているところだろう。やおい的心性においては妄想する私が不在である、ということはすでに指摘されて久しいが、吉澤は「アイドル」を例にとって、さらに深くまで入っていく。「女性は何よりも、男性アイドル・グループの「グループ性」、つまり「メンバーの関係性」に志向するからだ。ライトなファンからコアなファンまで、またやおいに無関心な人、やおいに嫌悪感を露わにする人でも、メンバー同士の「絡み」や「わちゃわちゃ」(ファンはメンバー同士が仲良くしている様子をこう表現する)が大好きである。それこそが最大の「萌え」なのである。ここからも女性の欲望がいかに「関係」へと向かっているのかがわかる。そこには「私」はけっして登場しない。ファンがメンバー間に萌えを発見したとき真っ先に思うこと、それは「わぁ〜いいなぁ、どこかに隠れてその様子を、そっとずっと見ていたいね」ということだ。・・・「私」は、どこかほかの場所から、それをただ見ていたいだけなのだ。」(149〜150ページ)

私はこの方面はよく知らないから、これが当たっているのか、新奇な言説なのかどうかを知らない。だがこの文章が意味している内容はきわめてクリアーである。と同時に、これはAKBとかに向かう男性ファンの心理をもある程度説明できているのではないか。吉澤は男性は「所有」に向かうからこうはならないと述べているが。

吉澤は「やおい」にフェミニズムに連なるものを見ているし、その節操のなさに希望をすら見ている。この分野の議論をするときに、目を通しておくべき文献であると言えよう。