「他力本願のすすめ」水月昭道

他力本願のすすめ (朝日新書)

他力本願のすすめ (朝日新書)

高学歴ワーキングプア」の著者が、親鸞の他力本願について書いた本。面白く読めるが、そのぶん親鸞への疑問点も湧いてくる。(ちなみに私は親鸞本人は尊敬してますが)。

「他力」の視点というのは、そもそも。”思い通りにはなかなかならないのが世の中や自分の人生”だと、まずは現実を直視する。そして、「でも、そのこと自体に何らかの意味があるのではないか」と一歩立ち止まってみる。最後に、もたらされたご縁の裏側に見え隠れする仏さんの存在を意識してみる。そんな作業であるとも言えよう。(194ページ)
 自分ではどうしようもない世界は、残念だが確かにある。どんなに(努力して)善行を積んでいようが、お願いごとを100万回してみたとしても、そんなことが何一つ救われない厳しく悲しい世の現実があるのだ。そこに直面した場合には、あれやこれやと悩まないで、もはや「天に(他力に)全てをおまかせする」と腹をくくったほうが、もしかしたら楽になれるのかもしれない、と教えられている気がする。(197ページ)

そのこと自体は理解できるが、この世界観をベースにすると、たとえばDVで虐待されている人間もまた「そのことには何かの意味があるのではないか」と、すべておまかせして、腹をくくってみては、ということに理屈上はなる。DV被害から脱出して状況を根底から変えようとするのは自力だからである。他力を第一原理にすると、他力よりも優先すべきものがなくなるので、他力の縛りから抜け出すことはできなくなる。抜け出すのもまた仏のはからい(他力)とか言うのは言葉遊びであろう。なぜならそうすると自力というものが原理的に存在しなくなるから。戦争するのも他力になる。

このあたりが他力への私のかねてよりの疑問であり、本書はこの問いには答えてくれなかった。