311を前に死者について思うこと

魂にふれる 大震災と、生きている死者

魂にふれる 大震災と、生きている死者

生者と死者をつなぐ: 鎮魂と再生のための哲学

生者と死者をつなぐ: 鎮魂と再生のための哲学

トランスビューから、若松英輔さんの新著『魂にふれる:大震災と、生きている死者』を送っていただいた。さっそく一気に読んだ。この時期に出るべき、良書である。私は若松さんのことを存じ上げないし、書かれたものも拝見したことはないが、この本のメッセージは、死者はいなくなったのではなくて、いまここにありありといるというものであり、私が『生者と死者をつなぐ』で書いたことと同じである。大震災から1年のあいだ、私はその思いを強くしていたが、若松さんもそうだったのだろう。若松さんはパートナーの死がさらにその底にあって、それと震災が重ね合わされる。そして、田辺元、上原専祿へと続く死者の哲学への見通しが語られる。同時期に刊行されるこの二冊を見て、「死者は死んでも生きている」という生命観こそが、この地で起きた震災を触媒としていま立ち上がってきているという感を強くした。

もっとも、私は若松さんの記述に違和感を持つ箇所もある。ひとつは池田晶子への賛辞の部分であり、ひとつは文学的感傷へと流れやすいところである。しかし私の本も感傷に満ちているし、哲学的掘り下げはこれからという感じだから、偉そうなことは言えない。

文体はまったく異なるけれども、中心メッセージは同じ2冊が、書店で並んで置かれるところを想像してみる。