過激な美術教師

生者と死者をつなぐ: 鎮魂と再生のための哲学

生者と死者をつなぐ: 鎮魂と再生のための哲学

拙著新刊が発売されて1週間となります。大書店では平積みになっているみたいなので、お暇なおりにぜひご覧ください。というわけで、今日はその本の第2章から一本を紹介します。第2章は美術・芸術・音についてのものが集められています。それらと、人間の生死、哲学がどう関わるかというあたりの思索をしています。

過激な美術教師

 私は絵画や彫刻作品を見るのが好きである。ひょっとしたら好きというのを通り越して、執着に近いようなものになっているかもしれない。気になる作品が展示されているのを知ると、それを見るためだけに大阪からわざわざ東京に行くこともしばしばである。地方の学会に出かけるときも、空き時間を見つけて、小さな県立美術館の常設展を散策する。人影もまばらな館内で、作品と向き合うのは大いなる楽しみだ。
 二〇〇四年に兵庫県立美術館で開かれた「具体」回顧展は、私にとって特別な意味を持つ展覧会であった。「具体」とは、一九五四年に日本で始まった前衛芸術運動である。とにかく新しい実験的な試みならば何をやってもいいというかけ声のもと、多種多様な作品が生み出された。その作品群は、海外からも注目され、いまや美術史にも記されるようになった。
 その大回顧展が開かれるというので、私はさっそく美術館を訪れたのであった。館内には意外なほど多くのお客さんがいた。ボールがごろごろ転がるオブジェや、全身を電球で覆った不思議な衣装や、巨大な紙の壁を作家が走り抜けて破るパフォーマンスの写真など、当時の熱気を伝える作品がびっしりと並べられていた。展示場のフロアーには、ときどき大きなうなり声をあげて動き回る掃除機のようなものが置かれ、人目を引いていた。
 私は壁に掛けられた一枚の作品に吸い寄せられるように近づいていった。それは、かすかに反り返った小さな正方形の板が、格子模様に規則正しく並べられたオブジェであった。それを見て、「ああ、私もこんな作品を作りたかったんだ」とひとりでつぶやいた。作者名を見ると高崎という名前が書かれている。その瞬間、それまで忘れていた四〇年も前の記憶が、堰を切ったように私の脳裏によみがえって来た。「高崎先生、あなたは具体だったのですか」。
 絵を描くことが大好きだった私は、私立土佐中学校に入学して、美術教師、高崎元尚に出会った。彼の授業は過激そのものだった。中学一年生の生徒たちに、「何を使ってもいいから面白いものを作ってこい」と言い残して教室を去り、自分は展覧会に出すための作品を制作し始めるのだった。
 私は彼の制作物に目を見張った。コンクリートのような物体を粉々に壊して床に整然と並べ、彼はにやにやしていた。その姿に衝撃を受け、私もきれいな絵を描くのをやめ、ベニヤ板にカンナ屑を無数に貼り付けたり、リンゴを釘で板に打ち付けたりして、彼のところに持っていった。彼はそれを受け取りながら、「ああ、面白いですね」と言った。
 私は、アートとは何かを、そのとき自分の内側からあふれ出てくるものとして発見したのだった。今から振り返ってそれを言葉にするとしたら、「アートとは世界という素材から未知の〈驚き〉を切り取ってくる営みである」ということになるだろう。私は立体造形作家になりたいと思った。そのときの高揚した気持ちを、私は兵庫県立美術館のフロアーに立ち尽くしながら、ありありと思い出していた。高崎先生に導かれた私は、哲学者という、まったく別の種類の立体造形作家になってしまったのだ。

本の目次全体と内容サンプルと動画は以下のエントリで見れます。
http://d.hatena.ne.jp/kanjinai/20120214/1329217763

検索してみたら、私と同じ土佐高校出身の精神科医・評論家の野田正彰が、同じく高崎先生のことを書いている。これも面白いエッセイである。
「ある美術教員」野田正彰
http://www.yokokai.com/index.php?UID=1167446838