『33個めの石―傷ついた現代のための哲学』という本を出します
- 作者: 森岡正博
- 出版社/メーカー: KADOKAWA
- 発売日: 2016/12/22
- メディア: 文庫
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追記(2016年):角川文庫より文庫版が刊行されました。5本の新しいエッセイが追加されています。
2月17日に、春秋社からエッセイ集を刊行しますしました。赦し、自殺、宗教、脳科学、監視社会、ジェンダー、右翼左翼など、現代的なテーマを素材にして、一般読者向けの密度の濃いエッセイを凝縮しました。エッセイ集というと、軽い語り口の文集というイメージがありますが、この本はそれに逆らって、見開き2ページの分量に、濃いスープのような文章を注ぎ込みました。哲学的な香りのする本となりました。ある業界紙に連載していたものを書き直したものが半分で、残りは書き下ろしですが、連載は一般的には誰も読んでいないと思われるので、実質的に全部書き下ろしという感じです。いま避けては通れないテーマばかりを考えました。ぜひ、書店で手にとってご覧ください。
現代は科学と金が物を言う時代である。その気になれば、美だって健康だって手に入る。けれど、それで人間は本当に幸せになったのだろうか? 引き返せない現実を前にして、いつのまにか傷ついてしまった私たちは、なにをめざせばよいのだろう? 自殺について。死刑問題。人の痛みを知るとは。脳科学と自然環境。宗教の功罪…。『無痛文明論』の著者が、自らを棚上げにせずひたすら考え、紡ぎ出した、魂のしずくのようなエッセイ。家族やともだち、大切な人と話したくなるテーマをもりこんだ「森岡流・倫理の教科書」。
以下、目次と、本文の一部紹介です。ひとつのテーマについて、4本のエッセイから成っています。1エッセイは見開き2ページ完結です。
目次
1
赦すということ 1・2・3・4
自殺について 1・2・3・4
33個めの石 1・2・3・4
恐怖を消す薬 1・2・3・4
脳と幸福 1・2・3・4
「人道的な」戦争 1・2・3・4
子どものいのち 1・2・3・4
人間と自然 1・2・3・4
パンドラの箱を開けるロボット 1・2・3・4
差別と偏見 1・2・3・4
英語帝国主義 1・2・3・4
ナショナリズム 1・2・3・42
監視カメラ 1・2・3・4
「君が代」と起立 1・2・3・4
男らしさ、女らしさ 1・2・3・4
おしゃれと化粧 1・2・3・4
中絶について 1・2・3・4
不老不死は幸せか 1・2・3・4
故郷 1・2・3・4
都市の本性 1・2・3・4
異邦人である私 1・2・3・4
加害と被害 1・2・3・4
哲学とは 1・2・3・4エピローグ 33個めの石、ふたたび
タイトルの「33個めの石」とは、以前にこのブログでも書いたことのあるバージニア大学乱射事件のことです。
本文の冒頭の2本です。
赦すということ・1
死刑制度を廃止すべきかどうかは、まさに現代の難問中の難問であると言えるだろう。EU(欧州連合)は、加盟国の条件として、死刑制度の廃止を要求している。これに対して、日本、中国などは死刑制度を存続させていて、廃止の機運も高まってはいない。
私自身は、死刑制度に反対である。いくら極悪非道の犯罪者であったとしても、その人間の命を強制的に断絶させることは、許されるべきではないと考えている。日本には終身刑の制度がないので、終身刑の新設と引き替えに、死刑を廃止するのがいちばんよいと思うのだ。
と同時に、自分の家族や愛する人を無残に殺されたとき、その犯人を自分の手で殺してやりたいという気持ちもまた、私は充分に理解できる。たとえそれが違法であったとしても、この手で犯罪者の命を奪い、復讐してやりたいという思いは、ありありと分かる。だから、もし自分の手で殺せないのだったら、国家の名のもとに殺してほしい、という被害者家族の気持ちもよく分かるのである。
私は、死刑を肯定する感情を自分の中に持ち合わせている。そのうえで、理性の力でもって死刑を廃止すべきだと考えているわけなのだ。日本では死刑反対論者は少数派のようだが、みなさんはどうお考えだろうか。ひょっとしてみなさんは、死刑反対論者とは人間の感情をまったく理解しない頭でっかちの冷血人間なのだ、と思ってはいないだろうか。
どんな犯罪者であろうと、この世にうけた命だけはまっとうしてほしいと私は願っている。死刑反対論の背後には、このような人間じみた感情や願いも存在しているのである。
赦すということ・2
2006年10月2日、米国のペンシルベニア州で、銃を持った男が小学校に侵入し、女子児童10人を殺傷して、みずからも自殺するという事件が起きた。この小学校は、アーミッシュというキリスト教再洗礼派の人々が住む地域にあり、被害者の児童たちも、アーミッシュの家庭の子どもたちであった。
アーミッシュは、電気やテレビなどの現代文明の成果を拒否し、自給自足のつましい生活を貫いていることで有名である。争いごとを好まず、徹底した平和主義が実現されている。
この事件は、日本でも大きく報道された。だが、その後日談は、日本ではほとんど伝えられなかった。彼らは、なんと、子どもたちを無残に殺害した犯罪者とその家族とを「赦す」と宣言したのである。犯罪者に復讐したり、恨んだりするのではなく、その罪を赦すと言ったのである。彼らの態度は、米国の人々に静かな感動を呼び起こした。
しかし、子どもを殺された親たちが、その犯罪者を赦すなどということが、ほんとうに可能なのだろうか。彼らの信仰が、それを可能にしたのだろうか。米国の人々が彼らの態度に感動したのには、理由がある。
9・11以降、米国はアフガニスタンで復讐の戦争を行ない、イラクにまで攻め込んで殺戮を強行した。いくら正当化の美辞を並べたとしても、心の底では米国の行為が無残な殺戮に他ならないことを国民はよく分かっているのである。
米国民は、9・11を引き起こした者たちを赦すことができなかった。アーミッシュは、9・11のときに米国民が本来取るべきであった態度を、今回の事件で再現してみせた。それは米国民の無意識の「負い目」を刺し、彼らに小さな希望の道を指し示したのである。
また、続報をここに書き込んでいきます。
追記:
りんごさんが、「33個めの石」(と「草食系」)がどの書店のどこに並んでいるかをまとめてくださっていますので、ご覧ください。
http://www.geocities.jp/life_ringojp/haibi2009.html