中村桂子『科学者が人間であること』

2013年9月22日日経新聞掲載

 中村桂子による渾身のエッセイであり、科学を志す次世代の若者たちへの熱いメッセージである。地球の中で生き物の一員として生きていることを真に大切にするような人間たちによって、これからの科学は担われなければならないと中村は語る。

 中村にそれを再認識させたのは、2011年の東日本大震災であった。日本の原子力技術は優秀なので大事故は起きないだろうと思っていた科学者はたくさんいたが、「実は私もその一人でした」と中村は告白する。その反省から、中村は再度みずからの原点に立ち返り、「人間は生き物であり、自然の中にある」という地点から、将来の科学のありかたを根底から再考しようとするのである。

 しかしそのときに、西洋の方法論はもうダメだから、これからは東洋の方法論で行こうというような発想を、中村は拒否する。真に必要なのは、西洋由来の科学を生命論的世界観によって生まれ変わらせることである。

 哲学者大森荘蔵によれば、物理学に代表される近代科学は、世界をいのちのない死物のかたまりとみなし、それを数字で描写し尽くそうとする。

 中村はこの死物的なアプローチを全否定するわけではない。むしろ、そのような世界観の上にぴったりと重なるようにして、「川は生きている、雲も生きている、風も生きている」という生命論的世界観を描き込んでいくことが必要だと中村は言う(大森荘蔵はこれを「重ね描き」と呼んだ)。

 そうすることによって、科学的な「機械論的世界観」と日常的な「生命論的世界観」の両方にいのちを吹き込むことができ、その両支柱の基盤の上に次世代の科学を作り上げることができるというのである。そして日本の理科教育には、そのようなことを可能にするポテンシャルがあるという。

 中村が目指しているのは、「生きているってどういうこと?」「人間ってなんだろう?」という原初の問いへとありのままに迫っていくことのできる科学だ。まだ生まれ来ぬ将来の人間たちにまでこの問いを届けたいという著者の祈りが、この本には籠められている。



評者:森岡正博 (http://www.lifestudies.org/jp/)

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