宮地尚子『環状島:トラウマの地政学』

環状島=トラウマの地政学

環状島=トラウマの地政学

2008年3月2日熊本日々新聞掲載

 阪神淡路大震災のような大惨事を経験して、心に大きな傷を負った人は、あの時間、あの場所で起きたことについて、自分の言葉で何ひとつ語れなくなることがある。また、繰り返されるDVや虐待を受けた人は、そのとき自分に何が起きたのかについて、他人に対して説明できないだけでなく、自分に対してもそれを言語化できないことがある。
 本書の著者の宮地さんは、この点に注目して、トラウマをかかえた人と、その人を取り囲む人間関係を説明する、新たなモデルを提案した。それが「環状島」である。
 環状島というのは、大海の真ん中にぽつんと浮かんだ離れ小島なのであるが、その中心部がへこんで大きな湖になっているのである。つまり、中心部に「内海」があり、それを取り囲むようにして「尾根」の山々がそびえており、その「尾根」を外側に超えると、その先には浜辺があって、広々とした外海が広がっている。
 この島の中心部になぜ内海が形成されたのかというと、DVや虐待などの出来事が起きたとき、この島の頭上で、ちょうど原爆のようなすさまじい爆発が起きたからである。その爆発によって、被害者の心にはトラウマという名の空洞が形成され、そこに水が流れ込んで内海を作り上げたのである。
 内海は、トラウマの起点となる凄惨な出来事が生じたグラウンド・ゼロであり、そこで何が起きたのか、そこに何があるのかを、当事者は整然と言葉でしゃべることはできない。内海は、言葉を失った死の世界である。
 普通の考え方では、「当事者に何が起きたのかは、当事者がいちばんよく知っているし、いちばんよく語ることができる」とされる。ところが、トラウマを負った人間では、そうはならない。その人間の中心部には、言葉が失われた「内海」が広がっており、そこで起きたことを、他人にも自分にも整然と説明できないのである。
 中心部でトラウマを受けた人間が、なんとか環状島の内海から陸地に上がって、尾根の山々に向かって内側から登れるようになると、そこではじめて、苦しみながらも自分の言葉を発することができるようになる。だから、被害者への支援とは、まずは死屍累々たる内海から、陸地の尾根に向かう内斜面へと、被害者を引き上げてくる作業であると言える。
 島の外に目を向けてみよう。そこには果てしなく広がる外海がある。外海にいる人々は、トラウマで生じたこの島の存在について、まったく無関心である。あるいは意図的に見ないようにしている。
 その外海から、この島に上陸して、環状島の尾根に向かって外側から登ってこようとする人間がいる。彼らは、トラウマに苦しむ人を援助しようとする支援者である。
 環状島の尾根に内側から登っていこうとする当事者と、外側から登ってきて支援しようとする支援者とのあいだには、トラウマからの回復を目指した連帯がむすばれるのであるが、しかしながら、尾根の外側にいる支援者はいつでもそこから逃げることができるという意味ではよそ者にすぎないわけだから、尾根の内側からなかなか抜け出せない当事者と、真に結びつくこともできない。
 高い山々の頂上には、たえず強い風が吹きすさんでいるものであるが、それと同じように、当事者と支援者が出会う尾根の上もまた、社会からの強烈な外圧が吹き荒れる場所であり、当事者と支援者のあいだの軋轢が表面化する場所でもある。
 だから、もし支援する運動の内部で軋轢や内輪もめが生じたとしても、それは「環状島」という島それ自体の性質によるのであり、けっして誰も悪くないし、軋轢はむしろあって当然なのだと宮地さんは言う。
 このように、「環状島」というモデルを使って考えることにで、トラウマからの回復と、当事者への支援について、様々な問題点がすっきりと整理できるようになる。まだ荒削りであるが、これからの精神医学と現代思想に大きな影響を与えるかもしれないアイデアがほとばしっている。今後の展開が非常に楽しみな著作である。


評者:森岡正博 (http://www.lifestudies.org/jp/)


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