末木文美士編『現代と仏教』佼成出版社

現代と仏教―いま、仏教が問うもの、問われるもの

現代と仏教―いま、仏教が問うもの、問われるもの

2007年1月28日熊本日々新聞掲載

評者:森岡正博 (http://www.lifestudies.org/jp/)

 日本の仏教は、葬式仏教に成り下がってしまったということが言われて久しい。普通の人は、お葬式のときに仏教に出会うだけであるし、読経を聞いても、何を言っているのかまったく分からない。仏教は、われわれ庶民の心の苦しみによりそって、われわれを目覚めへと導いてくれるものではなくなった。
  これではだめじゃないか、という意識が、ようやく仏教の世界でも起きはじめている。この本の編者である末木文美士は、この運動のことを「社会参加仏教」と呼ぶ。同業者や檀家の内部に安住するのではなく、積極的に社会的な問題に関与し、それをつうじて、人々の生々しい生と死の現場に出会っていこうという試みである。
  末木は言う。教典にこう書いてあるからとか、宗祖がこう言ったからということは、いったん宗派を離れてしまえば何の説得力もない。それよりも、仏教者が、ひとりの生身の人間として、いかに人々の生と苦渋のなかに分け入ってゆくのかのほうが大事なのだ、と。それによってのみ、仏教はふたたび再生できるというわけである。
  社会参加仏教は、日本よりも、アジア諸国のほうで大きな成果を上げている。上田紀行は、ベトナムの禅僧である、ティク・ナット・ハンを例にあげて、教義の解説をする人が仏教者なのではなく、教義を生ききる人こそが仏教者なのだ、と指摘する。ベトナム戦争の惨禍の中で、ハンの兄弟子がガソリンをかぶって焼身自殺する。それを機に、ハンは僧院を出て、社会活動を始めた。社会参加仏教の重要人物のひとりであるダライ・ラマも、チベットからの亡命を余儀なくされ、世界を渡り歩きながら、愛と慈悲を説いている。日本の安穏とした葬式仏教からは想像もできないような状況の中で、アジアの社会参加仏教は開始されたのである。
  ではそれは日本にはなかったのかと言えば、そうではない。仏教系新宗教の活動や、既存仏教教団の内部からの問い直しの運動など、注目すべきものがある。ただし、社会参加仏教という視点から日本仏教を見直してみると、反省すべき点がいろいろと見えてきてしまうのである。
  石井公成は、明治期に活躍した高僧である小泉了諦を取り上げる。小泉は、仏教の立場から軍人たちを鼓舞し、「海軍布教」の先駆とも言われた人である。この意味で、まさに社会参加仏教の実践者のひとりと見ることができる。小泉は、軍人たちを前にして、国民を思いやる明治天皇の大恩に報いることを説き、すべてを弥陀にまかせて死にこだわらないことによって、「日本の良民」となることができると説いた。中世の僧兵を見ても明らかなように、日本には、仏教の社会参加が軍事と結びつく土壌がある。この点をどう考えていけばいいのだろうか。
  さらに言えば、日本仏教は、外部の社会に参加するまえに、みずからの教団内部に潜む社会問題に取り組むべきであるという指摘を、熊本英人が行なっている。それは、仏教教団の中の「ジェンダー」の問題である。
  たとえば、広く配布されている『仏教聖典』は、「女は心の乱れやすいもの、行ないの間違いやすいもの」であり、「欲が深いから、惜しむ心ねたむ心」が強いので、「女は男に比べて、道に進むことが困難である」と断言している。
  実際に、男性僧侶の妻たちは、陰から僧侶を支えていくことが当然とされており、住職が羽織の表であれば、妻はその裏地だという言い方もされる。また、その意識は当の妻たちにも共有されており、女の身であることで自分が犠牲になることもありうるという発言も見られる。
  また熊本は、男性僧侶には妻帯が認められているにもかかわらず、女性僧侶には純潔と清貧が求められるという点に、注意をうながす。この熊本の指摘には、私自身、虚を突かれた思いがした。私の中にもそれを疑わない感性があったからである。
  社会参加仏教を日本で実践していくためには、まず足もとの仏教教団の姿勢そのものを変えていかなければならないようだ。その膿を出し切ってはじめて、仏教は一般市民に届く声を獲得できるのかもしれないと思う。

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