池上甲一ほか『食の共同体』

食の共同体―動員から連帯へ

食の共同体―動員から連帯へ

2008年6月8日東京新聞掲載

 このところ、家庭内で「個食」が広がっている。かつての「家庭の団らん」は姿を消し、栄養のかたよりなども深刻になっていると言われる。
 これからは、それを反省して、食卓ににぎわいを取り戻し、家庭を活性化させていくことが大事だ、というふうになりがちだが、この本の著者たちは、そういうふうには考えない。なぜなら、歴史を振り返ってみれば分かるように、家庭の食卓の「共同性」の大切さが説かれるときは、きまって「国家」が乗り出してきて人々を一元的に組織化し、統合させようとするときだからである。
 たとえば、第二次世界大戦がそうであった。日本政府は、日本米を食べることで日本人は一体になれると宣伝し、大東亜共栄とは米を食べている民族がお互いに栄えていくことだと主張した。庶民の食を管理することによって、国家に役立つ人材を育成しようとしたのである。
 ナチスドイツも同じであって、各家庭における食の正しい管理こそが、ドイツ国家を支えるものであるとした。それだけではなく、家庭から出る「もったいない」生ゴミを回収して、豚の飼料へとリサイクルすることが国策として進められた。
 このように、国家が家庭の食に口を出すとなると、どことなく戦時中の日本やドイツの姿に似てくる危険性をはらむのだ。ところが、その道をふたたび進んでいるのが現在の日本であると著者たちは言う。
 二〇〇五年に「食育基本法」が成立し、国家による庶民の食への介入が法的に認められたが、真に必要なのは国家による上からの管理ではなく、個々人による下からの食の共同性の創出だというのが、本書の主張である。
 この法律に敏感に反応したのが、意外にも、ファストフード業界であったことを本書は教えてくれる。この点に、逆説的な可能性を見いだそうとする著者たちの眼差しは新鮮である。


評者:森岡正博 (http://www.lifestudies.org/jp/)

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