西垣通『集合知とは何か』

2013年4月7日日経新聞掲載

インターネットを通じて、多くの人たちが、自分の感じ方や考え方を公開している。それら無数の声を自動的に集めてきて、人々の集合的な意見を吸い上げ、政策に生かしたり、ビジネスに役立てることができるという話が世間に出回っている。

しかしながら、そのような楽観論には乗らないほうがいいと西垣は言うのである。

もちろんインターネット上の「集合知」がすばらしい働きをすることはある。たとえば、次の選挙で誰が当選するかを、大勢の人たちに実際に賭けさせて予測するシステムは、かなりの確率で正解を出してしまうのだ。

だが、それがうまくいくのは、あくまで条件が整備された課題に限られる。たとえば、これからの政治をどのように運営していけばいいかをネット上の集合知にまかせたとしても、混乱をまねくだけであろう。

集合知」の考え方は、社会の中の人間たちを、信号の出し入れをする単に多様なだけの無数の他律的な処理マシンのようにとらえるのである。西垣によれば、そんな浅い人間観では社会を正しく見ることなどできない。

西垣は、これからの社会を見ていくときのキーとなるのは「オートポイエーシス」の考え方であると言う。社会の中の人間は、まずは自分だけのリアルな内面世界を生きているのであるが、そこへ新たな情報が到来したときに、それを取り込んで、みずからのこれまでの記憶と照らし合わせ、自分の全体を内側から一気に作り直して新しい姿にしていくはたらきを持っているのである。

そして内面世界を新しくした人間は、対話によって現実へと関与し、コミュニケーションの作動の中にふたたび織り込まれていく。そのダイナミズムを正確に捉えないかぎり、社会の行き先など読めるはずがないのである。

その視点からシミュレーションすれば、社会にはある程度の不透明性があったほうが安定するなどの知見が得られる。ビッグデータを集めればなんとかなると言ったバカげた主張にうんざりしている人が手に取るべき哲学書である。



評者:森岡正博 (http://www.lifestudies.org/jp/)

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