捨てられた胎盤はどこに行くか

捨てられるいのち、利用されるいのち―胎児組織の研究利用と生命倫理

捨てられるいのち、利用されるいのち―胎児組織の研究利用と生命倫理

胎児組織の利用というのは、ずっと日陰のままに置かれてきた問題である。出産のときに排出される胎盤は、胎盤製剤として利用されてきた。出産後、胎盤は、病院から製薬会社に渡って胎盤を使った薬として再利用されることが都道府県の条例によって認められているケースがある(京都市など)。それらは胎盤抽出物(プラセンタエキス)として、2003年まで市販されていた。たとえば、滋養強壮剤ゴールドビタエックスなどに使われている。ある製薬会社には、月刊2000強の胎盤が提供されている。2003年に薬事法が改正され、胎盤の譲渡には母親の承諾が必要となった。以上、本書平塚志保論文にある情報。資料的価値の高い本である。

これに関連していつも問題となるのは、中絶した胎児の胎盤を利用していいかという問題。母親の承諾があったらOKかという点についての指摘は本書にもある。これは自殺した脳死の人からの心臓移植をどう考えるかというのと似た論点があるかもしれない(レシピエントが脳死の人の死因を知ったらどう思うか)。産業としては、いまは脳死の人の身体は、まるごと分解して加工して医療用パーツとして販売されている時代である。オリジンがどこであろうと、活用できるものはどんどん活用しよう、お金はどんどん儲けよう、患者は治療を受けて健康になろう、というのが現代医療の規範であろう。米国でもっとも盛り上がっているこの規範が、現今の経済危機のように、一瞬にして崩壊するということが将来あるのか、ないのか。