今日は晴天

今日採決がある。マイノリティービューをこれまで持ってきた研究者として、外圧に屈せず言うべきことは言ってきた(外圧はあった)。立法プロセスにも直接関与した。あとは議会制民主主義が決定するだけである。これから研究者として、学術の世界でさらにこの複雑な問題を追究していく。社会的関与が必要なときにはする。前エントリーのコメントでも書いたが、この話題についてはとうぶんこのブログでは触れないことにする。2001年よりずっと公共的な議論してほしいと言い続けてきた。その黙殺のプロセスを私と一緒に見てきた人は、私がいま何を感じているのか分かるであろう。子ども脳死臨調は、私が長期脳死とラザロ兆候について『中央公論』誌に発表した2001年に設置を検討されるべきだった。2001年以降、この問題を新聞・テレビの記者に言い続けてきたが反応はほぼなかった。子ども脳死臨調の設置は、今回の採決のずっと以前に行なわれるべきだった。今回の衆議院参議院参考人質疑をちゃんと聞いた人は、いかに混乱のまま採決が迎えられたか、しみじみと分かっただろう。いずれ、言うべきことはまとめて言うことにする。adieu臓器移植法1997-2009。