中西輝政の論説における「愛」

雑誌『Voice』9月号にて、保守派言論人の中西輝政京大教授が「"脱原発"総理の仮面を剥ぐ」という論説を書いているが、いまだに「右」対「左」の政治権力闘争としてしか現状を見れないそのスタンスに暗澹とする。

また、次のような文章がある。これは同じく保守派の竹田恒泰の「原発には愛がない」論への批判である。

たとえば、竹田恒泰氏は「原発には愛がない」と論じる。だが、この「愛」は愛国心の「愛」なのであろうか。議論を読んで受ける印象は異なる。国を愛しているというよりは、もう少し違うものを「愛して」おられるようだ。人間を愛し、原発労働者を心配し、被災民の方々をいたわっておられる。もちろん、そうした愛は尊い。だが、保守たるものは、まず「国家に対する愛」を何よりも優先させるものではないだろうか。(87頁)

ここでの「愛」の順序はこれでいいのか。