亀井智泉『陽だまりの病室で』メディカ出版

陽だまりの病室で―植物状態を生きた陽菜(ひな)の記録

陽だまりの病室で―植物状態を生きた陽菜(ひな)の記録

2002年12月15日信濃毎日新聞掲載

評者:森岡正博 (http://www.lifestudies.org/jp/)

 長野県立こども病院に、重症の新生児が運び込まれた。脳はほとんど働いておらず、「脳死」と言ってもいいような状態だった。その赤ちゃんは「陽菜(ひな)」ちゃんと呼ぶのだが、意識もなく寝たきりのまま、医療スタッフの適切な治療と、両親の献身的なケアを受け、四年間生き続け、そのいのちを全うしたのであった。本書は、母親が書き記した、その記録である。
 人工呼吸器につながれたまま、親のことばにも反応を返さない赤ちゃんに対して、たえずはっきりと声をかけ、誕生日を祝い、七五三を祝う両親とスタッフの姿については、この本を読んでいただくしかない。たとえ脳が働いていなくても、身体の細胞のひとつひとつが生きているかぎり、この赤ちゃんは生きているのだという確信がそこにはある。
 病院の中で子どもと四年間を過ごすうちに、母親の生命観も徐々に変わっていき、陽菜ちゃんが亡くなったときには、「医療の敗北ではない。医療の完遂だった」と考えるようになる。冷たくなった陽菜ちゃんを自宅に連れて帰り、妻と夫のあいだにはさんではじめて家族一緒に寝る。氷のように冷たい手を握って、それでも幸せだったという母親の言葉に、私は何とも言えない真実を感じる。
  しかし驚いたのは、陽菜ちゃんの状態についてだ。実は、瞳孔の固定、平坦脳波、自発呼吸の消失など、成人向けの日本の脳死判定基準を見事に満たしている。それでも、四年間も生存を続けた。いま子どもや赤ちゃんのための脳死判定基準が専門家によって提唱されているが、それに照らし合わせたとしても、陽菜ちゃんは臨床的な脳死と判定されてしまうのではないだろうか。
 おそらく脳死状態にあるだろう陽菜ちゃんは、大好きな主治医の前ではうんちをしない。先生が「じゃ、またね」と握手をして出ていったとたんに、顔を真っ赤にしていきんで、モリモリモリとうんちをするのである。そんな陽菜ちゃんを囲んで、一喜一憂する家族とスタッフたち。安曇野の豊かな自然に囲まれた、四年間の不思議な生と死の軌跡である。闘病記にありがちな湿り気を極力排した、魅力的な文章が光る一冊だ。

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