入不二基義『時間は実在するか』講談社現代新書

時間は実在するか (講談社現代新書)

時間は実在するか (講談社現代新書)

2003年3月9日信濃毎日新聞掲載

評者:森岡正博 (http://www.lifestudies.org/jp/)

 「時間」とは、いったい何なのか? これは、多くの人が、一度は考え込んでしまう謎であろう。ふと気がついてみたら、もう何時間も経っている。ふと気がついたら、もう青春時代は終わっていた、なんてこともある。時間は、無慈悲に過ぎ去っていく。だが、時間が過ぎていくとは、いったいどういうことなのだろうか?
 このなぞに、非常に面白い角度から迫ったのが、入不二基義さんの『時間は実在するか』だ。日本にはオリジナルな哲学がないと、いままでさんざん言われてきたが、そんなことはない。入不二さんのこの本は、自分の頭でとことんまで考え抜かれた独創的な哲学書だ。本の前半では、マクタガートという哲学者の時間論をていねいに解説して、その欠点を洗い出し、後半で壮大な入不二時間論とでもいうべき仮説を提示している。「時間」に興味を持つすべての人のための必読書である。
 「時間」には、二つの性質があると言われてきた。ひとつは、一九九〇年の次には一九九一年が来て、そのあとには一九九二年が来る、というような客観的な前後関係だ。世界を観察する人間とは無関係に、客観的に連なっている時間とでも言おうか。これに対して、もう一つの性質は、あるできごとが遠い未来からやってきて、いまここで現実のものとなり、やがて過去へと去っていくという、時間の流れのようなものだ。この時間の流れは、けっして客観的には捕まえることができない。いま目の前にあるできごとも、次の瞬間には、過去へと去ってしまうからだ。
 「時間」のもつこの二つの性質は、矛盾するのではないかと考えられてきた。それに対して、入不二さんは、この二つの性質が、たえずお互いに依存しあいながら運動を続ける点にこそ、「時間」の本質があるのだと考える。そこから導かれてくるのは、「時間」を支えているところの「無でさえない未来」「この今の現実性」「現在だったことのない過去」という次元である。この魔術的な概念装置によって、入不二さんは読者をどこへ連れていこうとしているのだろうか。哲学的興奮を味わえる一冊である。

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