中島義道『愛という試練』紀伊國屋書店

愛という試練

愛という試練

2003年8月後半信濃毎日新聞不掲載

*書評担当者と相談の上、新聞掲載を見送りました。

評者:森岡正博 (http://www.lifestudies.org/jp/)

 哲学者でエッセイストの中島義道さんが、人を愛することのできない自分自身の姿と、そういう自分を育てた両親の悲惨な愛の人生について、赤裸々に告白した本である。読み終わって、とても不快な鉛のようなものを飲まされた気分になるが、すごい本であることだけは間違いない。
 中島さんは、わが子が転んだときであっても、思わず駆け寄って抱き上げることができない。身体がそういうふうに、自然に動かないのである。全身が凍り付き、どうしていいのか分からなくなるのである。
 中島さんは、そのような自分を、両親から受け継いだと語る。父親は、一見普通の善良な人間であったが、身近な他者を愛するという感覚が決定的に失われた人物であった。父親が家族に対して見せる優しいふるまいは、すべて、父親ならそういうふうにふるまうのが当然だろうという常識と計算に基づいてしているだけであって、けっして心からの愛情の発露ではなかった。そのようなやさしさの本質を、家族はたちまち見抜き、父親に対して深い憎悪の念を蓄積させていったという。
 母親は、父親に愛情を求めたが、繰り返し裏切られ、それでも四〇年間別れることをせず、彼に罵詈雑言を浴びせ続けた。父親が死んだあと、母親は「あいつは許せない!」と隣の病室に聞こえる大声で叫んだ。そのような母親を見て、中島さんはこう書いている。「叫べ、叫べ、と思う。もう十分苦しんできたんだ。もう変えようがない。獣のように叫んで叫んで叫び疲れて、死ねばいいと思う」と。
 中島さんは、世間に満ち満ちている愛情ゲームを拒否する。人間たるもの家族や子どもを愛して当たり前という常識を否定する。愛が人をがんじがらめにするのなら、そんなものはないほうがいい。中島さんは、実の家族について、「妻から愛されていると感じることも苦しいし、息子から愛されていると感じても鬱陶しい」と言い切る。自分には、もう一片の愛情も共感もいらないのだというこの辺境の砂漠のような世界は、並の小説では太刀打ちできない極限の悲惨を描き得ていると思う。

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