谷川俊太郎編『祝魂歌』ミッドナイト・プレス

祝魂歌

祝魂歌

2003年8月3日信濃毎日新聞掲載

評者:森岡正博 (http://www.lifestudies.org/jp/)

 人は死にゆくときに、いったい何を思うのだろうか。この世の生が終わったあとに旅立つはずの、あの世の姿について想像するのか。それとも、この世に残してゆくであろう大切な人々や、美しいふるさとの姿などを反芻するのだろうか。
 谷川俊太郎さんは、その答えを、人々が愛唱してきた数々の詩の中に求めた。東西の詩人たちは、死のあとの世界について、いったいどんなことを歌ってきたのか。人生にとって、死とは、どういう出来事だと考えてきたのか。今年七二歳になる谷川さんにとっても、それはもう他人事ではなかったのだろう。この本に集められたのは、生と死への思いを言葉によって結晶化させようとする、すさまじいばかりの詩人たちの執念の歴史である。
 たとえば、みずからが死ぬ日のことを歌ったタゴールの詩はこう始まる。「逝く日には かく言ひて/われ逝かむ/わが見しもの 得しものは/比(たぐひ)なしと」。死ぬゆく日には、こう言って、私は死ぬであろう、私が見てきたもの、体験してきたものは、比較を絶してすばらしかったと。タゴールは続ける。世の中という舞台の上で、私は何度か舞った。両目を見開き、姿なきものを見て、触れることのできない「あれ」が、ありありと近づいてくる、いまここで、人生終わるというのならば、時が終わるのもまたよし。
 林芙美子の「遺書」という詩は、次のように終わる。「土地も祖先もない故/私の骨は海へでも吹き飛ばして下さい」。ロベール・デスノスは歌う、「いまぼくに残されたことは、影のなかの影であること/影よりも百倍も影であること」。
 これらに比べて、民族的な歌謡はおおらかだ。チョンタル族古謡「この世の人が死にました/一人の人が死にました/大地が喜んでいる/空も喜んでいる/ほほえんでうたっている」。プエブロ族の古老「今日は死ぬのにもってこいの日だ。/生きているものすべてが、わたしと呼吸を合わせている」。
 ここに集められた三〇篇は、そのままで、詩の入門書としても十分に読むことができる。座右に置いて、繰り返し味わいたい書物である。

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