茂木俊彦『都立大学に何が起きたのか』岩波ブックレット

都立大学に何が起きたのか 総長の2年間 (岩波ブックレット660)

都立大学に何が起きたのか 総長の2年間 (岩波ブックレット660)

2005年10月9日熊本日々新聞掲載

評者:森岡正博 (http://www.lifestudies.org/jp/)

 ここ数年の大学の変わりようには、ほんとうに目を見張るものがある。私は、大阪府が設置した大阪府立大学に勤務しているのだが、わが大学も今年から法人化された。法人化されると、大学は大阪府の下部組織ではなくなり、教員も地方公務員ではなくなる。大阪府の予算に頼り切っているわけにはいかない。のんびりしていたのでは、大学が経済的に潰れてしまうから、学生が殺到するような面白い大学に変えないといけなくなった。
  カリキュラムも大幅に変更したし、学生の意見をなるべくたくさん吸い上げるための方法をいま探しているところだ。これらは、大学を法人化することのメリットだと言える。
  ところが、関東の公立大学の代表的存在である東京都の都立大学が、法人化によってひどいことになっているという噂が、大学関係者のあいだに流れていた。その真相は謎に包まれていたが、とうとう当時の総長が、都立大学法人化の過程をあばく本を出版した。これは、大学の法人化が裏目に出たときに、いったいどういうことになるのかを見事に描いたタイムリーな本である。組織がどのようにして活力を失っていくのかを知りたいすべての読者に読まれるべき本であろう。
著者によれば、都立大学をどのように改革していけばいいかについて、教員たちは何度も会議を重ね、青写真を作っていた。ところが、都庁はその青写真をまったく無視した独自の改革案を総長に示し、「これに対して疑問を呈したり意見を言ったり」せずに、都の方針に沿って改革をするべしと命じたのだった。都立大学の改革は、かくして、都庁からの完全なトップダウンによってスタートしたのである。
  総長は、都庁のトップダウンのやり方に疑問を覚え、すぐさまそれを批判する「総長声明」を発表する。都庁はこれにあわてるが、さらに上からの締め付けを行なってくるのである。都庁は大学側に文書を送り、その中で、「改革である以上、現大学との対話、協議に基づく妥協はありえない」と宣言し、改革を批判する人たちは新大学に参加すべきでないと言明したのである。
  かくして、都庁側と大学側の対立は、最悪のものとなった。都立大学は東京都の組織なのだから、都庁の方針には従うしかないのだ。都庁はそれをいいことに、都立大学を、「都政のシンクタンク」と「産業界への奉仕」のための大学に作り替えようとする。その方針に反対の者は、どうぞ出ていってくださいというわけなのだ。実際に、経済学者たちは大学を去り、この大学からは経済学コースがなくなってしまった。
  都立大学は、その名称を「首都大学東京」(これもトップダウン)に変更して再スタートした。著者は、旧都立大学の式辞で次のように述べる。「もちろんトップダウンは、どんな場合にも誤りだというのではありません。しかし、ボトムアップをいっさい位置づけないトップダウンは、どこかで行き詰まります」。そしてこれこそが、都立大学で実際に起きたことだったのだ。
  著者はさらに言う。下からの意見が無視され続けると、人々は「もう何を言っても無駄だ、決めるのは自分ではなく、他の誰かが決めるのだ」という心境になり、だんだんと無口になり意欲を削がれていく。都立大で積み上げられてきた青写真が、都庁によって一蹴されたときに、教員たちが感じたものは、きっとこれだったに違いない。
  ボトムアップの支持があったうえでのトップダウンでなければならない。このような単純な知恵が、大学という知の殿堂において、まったく生かされなかった。もちろん都庁側は、別の言い分をもっていることだろう。だが、大学教育の現場を担う教員たちのトップが、ここまで批判的な物言いをするという事実を、行政は重く受け止めないといけないだろう。組織を運営する者は、これを他山の石とすべきであると私は思う。

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