本田透『萌える男』、森本卓郎『萌え経済学』

萌える男 (ちくま新書)

萌える男 (ちくま新書)

萌え経済学

萌え経済学

2005年11月27日中日新聞東京新聞など掲載

評者:森岡正博 (http://www.lifestudies.org/jp/)

 ここのところ、「萌え」がブームである。少し前までは、「萌え」などという言葉が大新聞の記事にでかでかと載るなんて、考えられなかった。それがいまや「萌え」を知らないと時代に乗り遅れる、というわけなのである。「萌え」とは、そもそもマンガ・ゲームおたくの男たちが使いだした言葉で、フリフリのお洋服を着た幼女っぽいマンガのキャラクターに、心をときめかせている風情のことを言う。
  森永卓郎の『萌え経済学』の表紙を見てみよう。そこには、ケータイをもってウィンクしている幼女の萌え絵が大きく載っている。この女の子のミニスカからは白パンツがもろに見えている。これが、「萌え」のひとつの典型例だと言えるだろう。こうした「萌え」キャラが、いまや巨大なマーケットとなって世界を席巻しようとしている。関連グッズは海を越えて大量販売され、萌えアニメ、コスプレなどはもはや世界的な文化になってしまった。
  森永の本は、いま日本の産業社会が「萌え」をどのように受容しようとしているかを知るのに最適である。だが、この本はあくまで「萌え」を外部から取材したものであり、「萌え」の内面にまでは迫っていない。「萌え」とは、もっと屈折した、暗い情念によって支えられているのではないだろうか。
  その点を真摯に解明しようとしたのが、本田透の『萌える男』である。本田は一九六九年生まれであり、「萌え」の成立を肌身で体験してきた真性おたく男だ。この本では、ユニークな仮説が提示されている。本田の説をもって、「萌える男」すべてが理解できるとは思えないが、何かの糸口は与えてくれるはずだ。
  本田は言う。「萌え」とは、かわいいマンガ・アニメ・ゲームなどのキャラクターに対して、「脳内恋愛」することである。現実の生身の美少女に片思いするのではなくて、二次元の絵柄や、アニメの動画などに対して強烈に片思いし、そのキャラと脳内で対話し、恋愛関係を夢想し、そうやって脳内で癒やされていくことなのだ。
  それが突き進んでいくとどうなるかと言えば、自分自身が、その「萌えキャラ」の少女になりたいと思うようになる。この三次元の男の体を脱ぎ捨てて、「萌えキャラ」に自己同一化しようと欲するのである。本田の言葉を使うと、「萌える男自身の萌えキャラ化」が、「萌え」の最終的な目標となるのだ。それによって、「萌える男」は、自分自身の「男性性」から解脱することができる、と本田は言う。つまり、男である私から抜け出して、架空の少女の体を身にまとうこと、これが「萌え」の本質だと言うのである。この作業は、すべて脳内でなされる。
  評者にとって、このセオリーは非常に納得のいくものであった。というのも、評者は『感じない男』で、ロリコンや制服フェチの心理を、男である私を抜け出して、美少女の体に乗り移りたいという欲望として分析したことがあるからだ。評者自身は、二次元キャラへの「萌え」は、いまひとつ実感できない人間なのだが、二次元キャラの場合でも同じような心理メカニズムがあるのだとしたら、これは大きな発見だと言える。
  ここにはさらに大きな問題が伏在しているように思える。つまり、本田や評者の仮説が正しいのだとしたら、それは、現代の男たちの中に、「この男の体から抜け出したい!」「自分の男性性を捨てたい!」という切実な叫びが広がり始めているということを意味するからである。「萌え」は、ジェンダー論、セクシュアリティ論、男性学の視点から考察しなければならないということになる。これはまさに最先端の研究テーマになるだろう。
  本田はさらに、「萌える男」が目指すものは、「純愛」の復権であり、「家族」の復権であると主張する。なぜなら、萌え系PCゲームの世界では、「家族萌え」とでも呼ぶべき潮流が始まっており、もしこの流れが進んでいくとすれば、その先にに開かれてくるのは、家族が家族に対して「萌え」感情を抱きながら、適切な距離をとってお互いに慈しみ合う、平和で優しい家族共同体の姿だからである。これはまことに意表をつく意見である。
  「萌え」について考えるための好著であった。 

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