マイケル・S・ガザニガ『脳のなかの倫理』紀伊國屋書店

脳のなかの倫理―脳倫理学序説

脳のなかの倫理―脳倫理学序説

2006年2月19日信濃毎日新聞ほか(共同通信配信)

評者:森岡正博 (http://www.lifestudies.org/jp/)

 人がものを考えたり感じたりするときに、脳のどの部分が活性化しているのかを、脳科学の最新テクノロジーによって、頭の外から観察することができるようになってきた。この技術が進めば、人が脳のなかで何を考えているのかを、外から盗み見ることができるようになるかもしれない。
  テロリストの捜査に役立つと言う専門家もいるが、この技術が一般市民に向けられたらどうなるのか。それは究極のプライバシー侵害となるのではなかろうか。
  本書は、このような倫理問題に、どう取り組めばよいのかを概観したものだ。著者のガザニガは脳神経学者であり、最近では生命倫理問題についても発言をしている。本書のあちこちに見られる素朴な楽観論はいただけないが、今後大きく注目されるであろう「脳神経倫理学」のアウトラインを理解するための基本図書であることは間違いないだろう。
  最大の読みどころは、宗教や道徳がどのようにして生み出されるかについて、著者の見通しを語った部分だ。まず宗教的な信念は、「左脳」にある解釈装置によって形成される。そして瞑想や祈りのときに活性化するのは「前頭葉」である。また強烈な宗教体験や体外離脱を引き起こすのは「側頭葉」である。それらのはたらきに基づいて人類は宗教を作り出してきた、と著者は言う。
  道徳についても同じで、ある特定の道徳的判断のときだけ活性化する脳領域があることも分かってきた。その脳のはたらきは、全人類に共通であると著者は言うのである。人間の思考と感情にかかわる人文学は、これら脳科学によって駆逐されていくのだろうか。それとも脳科学それ自体の限界が、いずれ明らかになるのだろうか。
  著者は、いままで哲学者によって根拠なしに主張されてきたことに、科学的な根拠を与えることができ、人類共通の脳倫理が構築できると主張する。この点を精密に考えることが、今後の脳神経倫理学の焦眉の課題となるはずだ。

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