原宏之『バブル文化論』慶應義塾大学出版会

バブル文化論―“ポスト戦後”としての一九八〇年代

バブル文化論―“ポスト戦後”としての一九八〇年代

2006年6月25日東京新聞掲載

評者:森岡正博 (http://www.lifestudies.org/jp/)

 一九八〇年代に青春を過ごした者にとって、けっして見過ごすことのできない本が刊行された。あの時代の東京を生きた若者たちは、何か異様な明るさと戯れていた。サザンを聴き、雑誌片手に渋谷を闊歩していたかつての若者たちは、いまこの本をどのように受け取るだろうか。
  著者は、一九七〇年代に「社会の学校化」がひととおり完成したと見る。その結果、他人との差異に敏感で、心の不安を埋めるための消費にとりつかれた若者の群れが生み出された。彼らは、『ポパイ』などの雑誌によって仕掛けられた「いま・ここ」のナウい情報をいちはやく消費し、つねに流行に乗り続けていくというライフスタイルを生み出した。
  それに対応するようにして、雑誌メディアでは、田中康夫らが、絢爛たる「どこにもない東京」を創作しはじめた。読者たちは、実在の東京という街に、それらヴァーチャルな表象を二重写しにして、都市を理解しはじめたのである。しかしながら、そのような都市を浮遊する「わたし」という存在は、「どのような服を着ているのか」とか、「どのようなスポットを歩いているのか」などの外部情報によってしか規定され得ない、交換可能な歯車のようなものになってしまった。
  そのような自己意識を明るく肯定したのが「渋谷系」の若者たちである。そしてその背面において屈折した形で登場したのが「おたく」であった。渋谷系とは、仕掛けられた流行に乗って自分の個性を明るく消した者のことであり、おたくとは、個性的であることを暗い形で選択した者のことである。バブル後の九〇年代はおたくの時代となる。
  著者は、フジテレビのドラマや、サブカルチャー資料を駆使しながら、八〇年代とは何だったのかを細密に描こうとしている。あの時代を、現在の視点から再創造する貴重な試みとして、楽しく読むことができた。

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