E・バダンテール『迷走フェミニズム』新曜社

迷走フェミニズム―これでいいのか女と男

迷走フェミニズム―これでいいのか女と男

2006年7月2日熊本日々新聞掲載

評者:森岡正博 (http://www.lifestudies.org/jp/)

 フランスのフェミニズムの第一人者であるバダンテールの新著だ。この本で著者は、アメリカのラディカルフェミニズムを痛烈に批判している。そして、彼女たちのことを、男女の機微を知らない無粋な輩としてこきおろしている。著者は言う。「男性に外の生活では対等の「パートナー」であってほしいが、ベッドでは力強く支配してほしいと要求する」ことなどは、ラディカルフェミニズムにとっては論外のこととされるが、それでは女性の気持ちをすくい取れないのではないか。あるいは、「望んでいない性的誘い」は糾弾すべきとラディカルフェミニズムは言うが、それは「男女関係においては自然な現象で、かつ文化の一部」なのである、と。望んでいない性的誘いをたくさん受けるなかから、こちらが望む誘いを探し当てるのが、女性が築き上げた文化なのだというわけである。
  もちろん著者はフェミニストであるから、現状の男女のあり方を肯定しているわけではない。経済面の不平等、女性の社会進出、家庭での暴力など、女性にとって不利な状況はまったく改善されていない。それらは、両性の平等という観点から、是正されなくてはならない。これが著者の基本的な考え方である。そのうえで著者は、アメリカの影響を受けた現在のフェミニズムが、迷走を始めているのではないかと訴えるのである。
  まず、フェミニズムは女性を「犠牲者」として捉えようとする。それは極端なまでに進行し、いまや女性は実際に犠牲者であるか、さもなくば潜在的な犠牲者であるとさえ言われる。女性は、男性が作り上げた暴力体制の犠牲者であるということを執拗に繰り返すフェミニズムからは、将来の社会に対する何の展望も開けてこない。
  また、男性はつねに女性を支配してきたし、女性を抑圧する社会体制に加担してきたとする言説は、いまや多くの男性たちに被害感を生み出す元凶となっている。「一方に無力で抑圧された女があり、他方に乱暴で支配と搾取を行う男があるという構図」からは、何ものも生まれない。
  男性性を敵視するこの思想は、女性性、とくに母性を賞賛する母性主義に力を与えることとなった。「生殖能力ゆえ、女性はより人間的かつ寛容で、道徳的にもすぐれている」という見解もフェミニストから出されている。異性愛と生殖こそが自然なモデルだと言うのである。著者はこのような立場を断固として否定する。そしてこのような誤った思想が力を持つようになったのも、男性性を徹底的に糾弾するラディカルフェミニズムの悪影響だと主張するのである。
  また、それらのフェミニストは、娼婦というものを軽蔑する傾向がある。娼婦に対する「つきることのない同情の言葉の底に感じられる軽蔑」は許し難いと著者は言う。暴力について言えば、暴力はほとんどの場合男性から女性に向けてふるわれるとされるが、実際には女性もまた多くの暴力をふるっており、それらは女性から女性へと向けられる。女性がふるう暴力について目を閉ざしているのもフェミニズムの怠慢であると言う。
  著者は、男性性を執拗に糾弾するだけではフェミニズムに未来は訪れないと考えている。そしてフランスでは、もっと別の方法が必要ではないかと訴える。男性と女性を敵対させるのではなく、現存する不平等を両性が協力して解決していくような運動こそが必要なのだというのである。
  フランスのフェミニズムの現状を垣間見ることのできる好著であるが、これが日本でどのように読まれるのか大いに気になる。フェミニズムバッシングが吹き荒れる女性政策の世界や教育界で、都合のいいところだけがつまみ食いされるのではないか? 「ほら見ろ、フランスではフェミニストジェンダーフリーを批判しているじゃないか」などの曲解が横行する危険性はないのだろうか。
  学界からは、著者が目の敵にしているフェミニズムは一時代前のものであるという批判がなされるであろう。誤解や黙殺にさらされるのは間違いないと思われるが、それでもなお同時代のフェミニストからの真摯な声として一読に値すると私は思うのである。

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