「徐々に脱原発を」高知新聞

高知新聞』2011年4月17日(日)朝刊

徐々に脱原発

 東日本大震災が起きて、多数の方々が被災された。そして福島第一原子力発電所地震津波により壊滅的な打撃を受け、高濃度の放射性物質が外界に漏れ始めている。
 原発の事故をニュースで知り、その後の報道を食い入るように見つめているうちに、私はだんだんと気持ちがふさぎ、なんとも言えない後悔の念が湧き上がってきた。なぜ脱原発運動へのかかわりをやめてしまったのだろうという後悔である。
 1986年にチェルノブイリ原発事故が起きたことをきっかけに、日本全土で草の根の反原発運動が始まった。当時大学院生だった私も、反原発の活動をしていた友人たちと一緒にその流れに合流した。原発に依存する社会を変えていかねばならないと本気で思った。
 その後、京都に移った私は関西電力の外部委員をつとめ、原子力発電所内部を見学し、当時話題を集めつつあったプルサーマル計画について電力会社の専門家と議論を戦わせた。原子力発電は危険すぎるという意見は私の中で変わらなかった。
 しかしその後、私は脳死臓器移植問題へと力を注ぐことになり、原発からはいつのまにか遠ざかっていった。そのころから、原発はCO2を出さないので環境に優しいという言い方がなされはじめた。世間の目も原発から離れていった。
 そしてそれらのことを忘れてしまったときに、今回の事故が起きたのだった。かつていろいろと勉強していたから、今回の事故で何が起きつつあるのか、その概要はありありとわかった。最悪の事態が目に浮かび、この問題から離れていたことへの罪悪感が私を襲った。
 私たちは日本のエネルギー政策をどうしていけばいいのかについて、本気で考えなくてはならない。私は、太陽光発電などの新エネルギーの開発に国民全体で取り組み、徐々に原発に置き換えていくしかないと考えている。発電における新エネルギーのシェアはいまのところ1%しかない。しかし国策として大量の開発資金とインセンティヴ(動機づけ)を与えれば、急激に伸びるはずである。
 資源エネルギー庁は、原発一基の電力を太陽光発電で補おうとすれば、東京の山手線の内側全部にパネルを付けないといけないと反論している。しかし逆に考えてみれば、山手線の内側の人たちが協力して屋根にパネルを付ければ、原発を一基停止できるということなのだ。
 自分の家の屋根にパネルを付けて発電すれば、昼間は自分の家で使えるし、余った電気は電力会社に直接売ることができる。マンションで共同の発電をすることもできる。そうやって全国で草の根から各戸発電をしていけば、山手線の面積くらいたいしたことはない。
 さらに太陽光発電の技術革新もどんどん起きるだろう。電力のピークは平日昼間である。それはもっとも太陽光発電のやりやすい時間だ。脱原発を徐々に進め、もっとも安全性の高いタイプの原発を少しだけ予備に確保することをまずは目指したい。次に天災が起きるときまでに、原発の数をできるだけ少なくしておきたいのである。(大阪府立大学教授)