「将来世代を産出する義務はあるか」という論文を書きました

大阪府立大を拠点に、「生命の哲学」プロジェクトを進めている。その成果の一端は、先日の応用哲学会のワークショップ「生命の哲学の可能性を考える」でも発表した。2008年から、年に1本のペースで、「生命の哲学」の共著論文を刊行しているが、その第2回が出たので、紹介する。

森岡正博・吉本陵「将来世代を産出する義務はあるか?:生命の哲学の構築に向けて(2)」
http://www.lifestudies.org/jp/philosophylife02.htm

哲学者のハンス・ヨーナスは、環境倫理学の基盤として、将来世代への責任を提唱した。しかし、そもそも将来世代は将来に存在しないといけないのだろうか。我々は、将来世代を産出する義務を負っているのだろうか。これが論文のテーマである。前半では、ヨーナスに沿って考えたときにどうなるのかを検討した。後半では、ヨーナスを離れて、そもそもわれわれはそのような義務を負っているのかいないのか、について検討した。その結論は常識とは異なるものであろう。すなわち、個人主義に立つ限り、我々は将来世代を産出する近未来の義務はあるが、遠未来の義務はない、その結果、人類の穏やかな自己消去は甘受される。個人主義フェミニズムへのインプリケーションも議論を呼ぶだろう。

大きすぎるテーマを扱っているので、とくに後半はきわめて荒削りである。みなさんからの批判を聞きながら、さらに考察を続けていくつもりである。