彼らもまた被害者、なのか?

『女のからだから』No.270 2008年10月2日号 6頁 に、神経筋疾患ネットワークによる「神経筋疾患ネットワーク活動趣旨」という文章が転載されている。この文書で、ネットワークは、日本産科婦人科学会が2004年に「デュシェンヌ型筋ジストロフィー」の着床前診断を承認したことに反対を表明している。これはまさに命の選別であり、倫理的問題があると言う。

(前略)着床前診断は、まぎれもなく命の選別です。また、誰もが、事故や病気、老化などにより、「要らない命」と呼ばれる可能性を持っています。その点で、着床前診断の発想は、すべての人類の生存を脅かすものです。
 私たちは、着床前診断を選ばざるを得なかった夫婦に抗議したいとは思いません。彼らも、また被害者だからです。障害者が幸福に生きられるというメッセージが、この社会にはあまりにも少ないのが現実です。幸福に生きる障害者を見たことがない人にとって、自分の子供が障害を持ち、しかも長生きできないかもしれないと聞けば、生む決断ができないことも、想像は可能です。
 しかし、実際は、幸福に生きる障害者は、たくさんいます。どんなに重度の障害を持っていても、生まれてきて良かったと思っている人は、多いのです。(以下略)

私は彼らの主張は理解できるし、私自身、着床前診断には倫理的問題があると主張してきた(『生命学に何ができるか』等参照)。この文章が書かれた背景も理解できる。

しかし、私は、「彼らも、また被害者だ」というような言い方はしないだろう。いったん、この言い方をしてしまうと、「被害者」は次から次へと拡大していくことになるだろう。「被害者」と言いたい気持ちは十分理解したうえで、しかし「被害者」という言葉を使わないで、状況に対峙していく仕方こそが求められているのではないか。