「生命の哲学」プロジェクト始動!

2007年からひそかに始動していた「生命の哲学」プロジェクトの最初の成果が刊行されました。

> 森岡正博・居永正宏・吉本陵「生命の哲学の構築に向けて(1)」

その論文より、冒頭部分を引用。

 我々が「生命の哲学」の必要性を痛感したひとつのきっかけは、現代の生命倫理の諸問題を検討しているときであった。脳死臓器移植問題や、ヒトクローン問題などの生命倫理の問題を考えていくと、その議論はどうしても、「そもそも生命とは何なのか」「人間が生きること死ぬことの意味は何なのか」という根本問題にぶつかってしまう。しかしそれらの問題は、米国で発展した「生命倫理学bioethics」の枠組みではほとんど答えられないようになっているのである。生命倫理学は、むしろ、それらの泥沼のような問題から距離を取って、現実の諸問題をプラグマティックに解決していくことを目指して構築されてきたという経緯がある。「そもそも生命とは何なのか」という問題を生命倫理学に求めるのは、お門違いだというわけである。(ただし最近の展開については後述する)。

 あるいは社会福祉学の世界でも同じである。高齢者介護の問題や、障害者福祉の問題などが、人々の日常生活の現場で大きな課題となってきた。それに対処するために社会福祉学の領域でも様々な理論的・実践的な試みがなされているが、現場の人々の声をすくい上げて問題解決を探ろうとするときに、やはり同じような根本問題、すなわち「老いていくとはどういうことか」「病んでいくこと、障害をもつことの意味はなにか」といった哲学的問題にぶつかってしまうのである。社会福祉学もまた、現実の社会問題を解決するための専門家を養成しなくてはならないし、その意味でプラグマティックな思考を必要とされるから、ここでもまた生命をめぐる哲学的問題が深められる余裕はないのである。

 あるいは議論喧しい環境問題についても似たような状況にある。地球温暖化問題への取り組みはまさに急を要する課題であるが、その裏には、なぜそもそも我々は環境を守らなければならないのかという環境哲学の根本問題が横たわっている。これは長年にわたって専門家たちによって議論され続けてきたテーマであるが、いまだに確たる答えは導かれていない。環境哲学・環境倫理学の分野では、「人間もまた生物種のひとつであり、人間を取り巻く大きな生態系のネットワークによって生かされている」という視野から、何かの答えが導けるのではないかと考えられてきた。このような思索を進めていけば、それは必然的に、人間の生命と人間以外の生命との関わりのあり方を考える哲学の営みに行き着くことになるはずである。

 これらのことからも分かるように、現代世界の様々な問題を突き詰めて考えていくと、その先には、「生命とは何か」という根本問題が見えてくるという構造になっているのだ。

生命の哲学プロジェクト概要については、

> http://www.lifestudies.org/jp/seimei-tetsugaku01.htm

でわかるようになっています。

そこより一部引用。

2007年より、大阪府立大学を中心に、「生命の哲学プロジェクト」を開始しました。これは、古今東西の「生命の哲学」を比較研究するとともに、現代社会が直面している「生命の哲学」の諸問題を哲学的に解明していこうという試みです。

生命倫理、老いの問題、社会福祉や障害、環境保全などの現代的な諸問題を、「生命の哲学」の問題として捉え直し、それをどのように解明していくのかを考えていくのですが、そのときに、古今東西の「生命の哲学」の遺産を幅広く研究しながら、それらの解明に役立てようというわけです。現代における学際的な哲学の実践と、文献研究を、両立させることを目指しています。

というわけで、今後の展開にご注目ください。ただし、ゆっくりとした進行になると思います・・。