モテたい理由と女の病

モテたい理由 (講談社現代新書)

モテたい理由 (講談社現代新書)

赤坂真理の『モテたい理由』を正月休みに読んだ。タイトルは「モテ」だが、内容としては、「女性誌」に現われた女の病、という趣向の本である。女性誌をほとんど読んだことのない私としては、たいへん面白かった。赤坂さんの言っていることが妥当なのかそれとも誇張なのかは、私にはまったく判断できない。だが、こういう視点はたいへん興味深い。赤坂さんは意図的に(というのはつまりフェミニズムの主張を全面理解したうえで)本質主義的な立場を取って、女性が女性誌に求める「妄想」を切り取っている。そして、「なぜか女性はそうなっているのである」というふうに語る。

コンビニに行ったら山ほど売られている「女性誌」にあふれている「妄想」が、単なる妄想ではなく掲載商品の売り上げに密接に結びついているのは事実であるわけで、だからデパートに行っても1階から3階まで女性のコスメと洋服であふれているわけだが、これがなぜなのか、この欲望の本流がなぜ維持されるのかについて、フェミニズムはほぼ説明を与えてこなかったのではないだろうか。フェミニズムが言ってきたのは、それは男性資本による女性は外見であるという価値観の内面化とそれによる女性の搾取の結果であり、その背後には女性の社会進出と自立を巧妙に阻みつつ女性を交換可能な再生産用の財(産む性・機械)として維持したい家父長制があるということであろう。

赤坂さんの本質主義的語りは、これらの説明がなにも説明してないのではないかという直観に支えられているように見える。だが私がそのように感じるだけで、実際はどうなのかは分からないが。

というわけで、本からちょっとだけ引用。

古来、ドラマというものは苦労人のほうに感情移入するようにつくられてきた。シンデレラを思えばいい。それが女性誌型のドラマだと、「苦労知らず」のほうが「一人勝ち」するのである!・・・・それが、女の人生ファンタジー。(120頁)

女には不思議な習性があって、なぜか、本人の努力以外のファクターが強く作用した美質を備えた同性に、より強い羨望を感じる。たとえば生まれつき美人であるとか、富豪のおうちに生まれついた、とかである。・・・・繰り返すが、女がどうして他力の美質のほうにより大きな魅力を感じるのかは、よくわからない。けれど、女はだいたいそうである。(126〜127頁)

赤坂さんは、こういうように書く。これを、そういう語りこそが社会的に構築されてきたところのジェンダー化された言説パターンであり、そういうふうに女を位置づけることによって、そしてここに顕著に見られるように女が女を批判するという二項対立が家父長制社会によって裏側から仕掛けられることによって、女がいかに社会のなかでの自立と自己実現を阻まれてきたか、と切り返すのは机上では簡単である。私はこういう種類の切り返しが簡単であるというところに、別種の問題性が潜んでいるように思う。