宮地尚子『トラウマの医療人類学』みすず書房

トラウマの医療人類学

トラウマの医療人類学

2005年8月14日熊本日々新聞掲載

評者:森岡正博 (http://www.lifestudies.org/jp/)

 「トラウマ」というのは、心の奥深いところに刻み込まれた傷のことだ。それはなにかの拍子にうずきだして、忘れたかと思っていた過去の記憶を鮮明に浮かび上がらせたり、原因不明の体調不良を起こさせたりする。「トラウマ」という言葉は、日本では阪神淡路大震災をきっかけに広く使われるようになった。地震の恐怖を夜中に思い出して、ベッドから飛び起きる人も多いと聞く。
  だが、トラウマ研究によれば、もっとも深刻なトラウマは、地震や事故のように一回切りで終わった出来事によるものではなく、成長の過程で何度も何度も繰り返された暴力や虐待によるものなのだ。そのもっとも悲惨な例が、子どものときに経験した性的虐待である。親や親戚などから繰り返し性的虐待を受けた子どもは、自分が自分であるという感覚を失い、自分が存在していてもいいという安心感を根こそぎ奪われ、自分のこころを自分の身体から切り離したり、多重人格になったりすることもある。
  宮地尚子さんの『トラウマの医療人類学』は、繰り返される暴力や虐待が、人間をどこまで追いつめていくのかについて、あらゆる角度から迫ったものである。宮地さん独自の斬新な切り口は、読む者の目を充分に開かせる迫力をもっている。
  「私のトラウマは××なんですよ」と言う人がいるが、宮地さんはそれに疑問をはさむ。なぜなら、そもそもトラウマとは、本来言葉にならないものだからである。性的虐待を受けた者、悲惨な戦地から帰還した者、慰安婦として働かされた者、彼らはみずからのトラウマを語ろうとはしない。それをあえて語ろうとしても、肝心のところで言葉は詰まり、断片的な叫び声やうめき声が漏れてくる。そのときに彼らは、みずからの底なしのトラウマと出会っているのである。
  そのときに、その声にならない声を目の前で聴いてしまった「私」というものが、実は試されることになる。私が敏感であればあるほど、私は揺らいでしまう。宮地さんは、自分の揺らぎを隠蔽することなく、むしろそのような揺らぎの中で、人間を支えていこうとするプロセス全体が、真の精神医学・医療ではないかと主張しているように見える。宮地さんはそのように明言してはいないが、しかしそれが彼女のメッセージであるように私には思われた。
  そのような問題意識のもと、宮地さんは子どもへの性的虐待がもたらすトラウマの深みへと分析を進めていく。まず最近の統計研究が紹介されているが、これは驚くべき結果である。一九九五年から九七年にかけて、米国の一万七千人を対象にして研究が行なわれた。性的虐待を受けた経験があるのは、全対象者の二〇%である。子ども時代に虐待を受けた人は、のちに肺疾患、癌、糖尿病などにかかる危険性が何倍にも増大することがわかった。さらに彼らの自殺企図の三分の二から八割程度が子ども時代のトラウマと関連するという。一〇代での妊娠経験率も見事な相関関係を描く。母数の多さから言って、信憑性が低いとは思いにくい。
  子ども時代の性的虐待は、このような身体症状として出るだけではなく、大きな精神の傷となってその人間を苦しめる。「お父さんと性的経験をもってしまった私」という意識は、自分自身の内部に「おぞましい」虫のようなものが潜んでいるという感覚を植え付ける。自分自身が、絶え間のない恐怖の対象になってしまうのである。私を苦しめたあの人が、いまなお私の内部で生き続けている、という感覚を日々感じながら生きていくというのは、閉塞したやりきれない経験だろう。
  そのトラウマを、人は言葉に出すことができない。出そうと試みても、それをそのまま受け止めてくれる安全な場所はどこにもない。これがトラウマをかかえた人間の心象風景なのだ。解決の糸口を探るためにも、ぜひ本書を読んでみてほしい。

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