楊逸「時が滲む朝」

芥川賞受賞の、楊逸「時が滲む朝」が「文藝春秋」に出ていたので、立ち読みした。映画でもそうだけど、中国作家は激動する社会を背景にした人間ドラマを書ける。それに比していまの日本作家は、どうしても日常の細々した細部のできごとに集中する傾向がある。セカイ系というのもその亜流だろう。面白かったのは、「時が滲む朝」のなかで尾崎豊がいきなり出てきたことだ。「I love you」が何度も使われている。実際、天安門事件当時の中国で尾崎が聴かれたりしていたのだろうか。こういうエピソードに、日中文学交流史の現在形を見る気がする。

ついでに、橋田壽賀子「夫婦の格式」という新書を立ち読み。これには深く失望。男は男らしくしろ、女は男を立てろ、という時代錯誤的な繰り言が延々と続く。同じことは、さきごろ亡くなった河合隼雄がよく言っていたな。日本とは女が男を立てるシステムだと。きみらが、草食系男子を苦しめてきたのだ。