体罰と倫理学 加藤尚武『子育ての倫理学』

体罰倫理学について倫理学者は論考を書くべきだ」とあるところで言ったら、この本を教えてもらった。加藤尚武ヘーゲル研究から応用倫理学に進んで倫理学界を引っ張った人で、この業界では大物である。私の先生筋にも当たる。

いずれにせよ正しい体罰の方法をガイドラインとしてまとめておく必要がある。(164頁)

というわけで、体罰は、正しい体罰である限り正当化されるという立場である。(ここでめまい感を感じる人もいることだろう)。

(1)年齢・・・体罰の必要で有効な年齢は、だいたい10歳から15歳である。15歳を過ぎたら・・・前提となる事実を指摘して命令する説得が主役となる。・・・だいたい10歳以前では、子どもが悪いことをしたときには、きびしく叱るだけで十分であり、体罰の必要はない。(164−165頁)

体罰の対象となる行為は、反復された意図的な悪行であり、自分で「悪い」と思っていながら、「どうせ処罰はされないだろう」と思ってする行為や、挑発的にわざと悪いことをするという態度の場合である。一回だけの悪行、過失、怠慢、不注意は体罰の対象にならない。(165頁)

・・・最初の行為に体罰を下すのは正しくない。一度厳しく禁止することを申し付けておいた行為について体罰が適用される。(166頁)

体罰は父親が行ない、母親はやや中立的な態度をとる。平手で頬を殴る。反抗的な態度を示す場合には、再度、殴る。突き倒すとか、跳ね腰で倒すとかの行為もありうるが、倒れたら起こす。絶対に蹴らない。危険であるだけでなく、足で苦痛を与えることは子どもの人格を傷つけるからである。(167頁)

体罰は倫理的に正しい行為であるが、それが濫用されると、自分の思い通りにならないときに人を殴るという最悪の形態になる。したがって、正義の怒りを抱くことのできる心情の純粋性とその怒りを客観的に正しく制御する自制心とが伴わないと、体罰は行なうことができない。(168頁)

加藤は、家庭での正しい体罰を推奨しているが、学校での体罰は基本禁じていることを付記しておきたい。

しかし、体罰は父親が行なうべきとか、足で蹴ると人格否定になる(平手で殴ると人格否定にならないらしい)とか、つっこみどころ満載の奇書としてひょっとしたら後世に残るであろう。実際問題として、内容は、おっさんが持論を学術語を使いながらとうとうと開陳していくというものであり、哲学倫理学とはとうてい呼べないと私は思います。