姜尚中「悩む力」の肉食的暴力

悩む力 (集英社新書 444C)

悩む力 (集英社新書 444C)

訳あって、この本を読んだ。結論から言うと、内容の薄い、ぺらぺらの本である。この著者の書いた本の中では、もっともスカスカの本なのではないだろうか。編集者か少人数の聴衆を相手に語りおろした感じ。著者とは同業者だが、いまのところ接点はないので、突き放して書いてもいいだろう。

内容とは直接関係ないが、以下の記述は気になる。若い人について述べるくだりで、

彼らはありとあらゆる人間関係においてあっさりしていて、誰に対しても深入りせずに上手くしのいでいくやり方を通しています。友人関係においてもそうでしょうし、恋愛やセックスにおいてもそうかもしれません。
人間の自我の中には即物的な知の側面もありますが、野蛮な情念のようなものもあり、それらもひっくるめて自我というものが形成されています。本来言うところの青春は、他者との間に狂おしいような関係性を求めようとするものです。しかし、いまは、そうしたむき出しの生々しいことは極力避けようとする人が多いように思えます。
それは良い悪いの問題ではないのですが、私は人間関係におけるある種のインポテンツではないかと見ています。序章でも言いましたが、かさかさしていて、乾いた青春ではないかと思うのです。(89〜90頁)

「良い悪いの問題ではない」と言いつつ、明らかに、あっさりした「草食系男子」の青春に否定的なまなざしを注いでいる。恋愛やセックスにおいてあっさりと深入りしない青春は、そんなに疑問視されなければならないのか? 「狂おしいような関係性」を求めるのが「本来言うところの」青春なのか? なんで、あっさりした関係性を「インポテンツ」と表現しなければならないのか?

「インポテンツ」には性的なコノテーションがあるが、そもそも「インポテンツ」は否定すべきことか? まさかセックスには挿入が不可欠なんて思っているわけではないだろうが・・。

私は著者本人のことはよく知らないが、このような言説にはこれからも疑問を呈し続けていこうと思う。

私自身は、著者がいうような、かさかさした乾いたあっさりとした深入りしない青春を過ごしたし、若き日の私にはそのような青春しか与えられなかった。著者の言説は、私の若き日の青春を否定するものである、と私は受け取る。