中島義道『「私」の秘密』講談社選書メチエ

「私」の秘密 哲学的自我論への誘い (講談社選書メチエ)

「私」の秘密 哲学的自我論への誘い (講談社選書メチエ)

2002年12月29日信濃毎日新聞掲載

評者:森岡正博 (http://www.lifestudies.org/jp/)

 この本は、哲学の永遠のテーマである「私とは何か」という問いに対して、正面から解答を与えたものである。西洋の哲学者の受け売りではなく、自分自身のことばで考え抜かれている。これは、ほんとうの意味での哲学書だと言えるだろう。
 まず、「私」はどこにいるのかを考えてみる。「私」は脳の内部にいるのか。しかし、いくら自分の脳を解剖してみても、「私」はどこにも発見されない。私が見たり感じたりしているこの世界のなかには、「私」は存在していないのである。
 では、「私」はこの世界の外側に存在していて、この世界を遠くから見下ろしているのだろうか。そういうふうに考えた哲学者はたくさんいたが、では、世界の外側にいる「私」が、どうして世界の内側を見ることができるのかという難問が残ることになる。
 中島さんは、「時間」の秘密が分かれば、「私」のことも分かると言う。たとえば、自分が見たことや、したことを、即座に忘れてしまう人間がいたとする。その人間は、はたして「私」というものを持っているのだろうか。中島さんは、ノーと答える。そのような人間は、目の前を通り過ぎていく様々な光や、映像や、音などをただ次々と体験しているだけであり、それらを体験しているところの「私」というものは、この人の人生にはまったく登場しないのだ。
 そもそも人間の人生に「私」というものが登場するのは、自分のしたことを振り返って、「ああ、あのときに、自分はあんなことをしていたな」と思い出すときである。過去の自分を振り返るその瞬間に、振り返られた「過去」というものと、それを振り返っている「いま現在」というものを、一気につなぐ何ものかが立ち現われる。これが「私」なのだと中島さんは考える。過去を振り返ることを原点に置いた、新しい哲学である。中島さんの主張がほんとうに正しいのかどうか、議論が必要だ。

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